闘病記

2019-02-07

あこ闘病経緯・・・・・・・・・・・・・・・・

2004年9月
がんがあることに気づく。
自分のことがあまり好きではなかったことから、積極的に治療をする気持ちになれず、放置。

2004年末
父にがんの疑い。

2005年2月
父が手の施しようがない末期がんであることが発覚。父親が闘病で苦しい思いをしている時に、娘が先に死ぬかも?いままで散々親不孝したので、せめて亡くなるのは一日でも後にしたいと、自身のがん治療を決意。半年以上放置していたため、ステージⅢーリンパ転移の診断から闘病スタート。

2005年3月
術前抗がん剤治療開始。

2005年6月
抗がん剤治療が劇的に効き、7月に手術へ。

2005年8月
父の病状悪化(入退院を繰り返す)。母の(家族にがん患者が二人もいる)ストレスからの言動に耐えられなくなり、半ばやけくそに、自分の手術後治療のスケジュールをすべてキャンセル。意思の疎通が難しくなってきた父親の病室にただ居るだけの日々を過ごす。

2005年9月末日
治療を始めた時、2006年お正月が迎えられたらいいですね、と言われていた父親が永眠。

2005年10月
父の葬儀が終わり落ち着いたころ、自身の治療を再開。もう治療しなくてもいいような気持ちであったが、一通りの治療は続けると決意する。

2005年11月
担当医の判断で手術後の抗がん剤投薬は中止。一ヶ月の放射線治療へ方針変換。一ヶ月間毎日、放射線治療のため通院。母親には、父が亡くなった病院へよく毎日行けるね。と言われる。

2005年12月
一通りの治療終了。

2006年1月
大変お世話になった先生から、年賀状が来なかったことが気になって普段は電話などいれないが、自宅へ連絡。ご家族から、病状が良くないことを知らされ月末に他のアシスタントさん達とお見舞いに。

2006年2月
お世話になった先生永眠(スキルス胃がん)。

実に短い期間にワタシ自身が、がん患者となり、そしてがん患者の家族、その後、がん患者遺族となる。さらに、追い打ちをかけるように大変お世話になった先生をがんで失う、という経験をしました。
※漫画家のアシスタントをしていましたので、ここでの先生とは、お世話になった漫画家の先生です。

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年表でざっとですが、読んでいただき有り難うございます。

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Posted by ako