あことは

2019-01-24

はじめまして。

自己紹介として、自分の病気のこと

メイクセラピーから

うつ・クライシスのカウンセリングを

学ぶことになったこと

そして……

感情のケアプログラムで

生きることがラクになったこと

そんな流れで書いていきたいと思います。

お時間ある方は、ゆるりとお付き合いください

実はわたくし…。ずっと、ずっと、メイクが苦手でした!

だって、美しくないし!
やってもたいして変わらないし!
コンプレックスだらけだからっ!

メイクをちょこっとやったぐらいで、たいして変わらないでしょ。
そもそも、必要ないし…。

道具も多い!
順番も分からない!
何か買いに行こうと思っても、何を聞いていいのか分からない!
ク自分が必要なモノより、お店の売りたいモノを買わされる!

ぐがぁ~!!!!ε=ε=ε=ε=ε=ヽ(; ̄д ̄)ノ
と、思っていました。

まわりがメイクをしはじめるお年頃になっても
特に探究する気もないので、何とな~くメイクしているだけ。
人が塗ってるところっぽいトコロに見ようみマネでぬりぬり。
こんな感じなので、
当然、メイクに自信はありませんでした。

そんなある日、メイクをして家を出ようとすると、父に、

そんな顔で行くのか?

と言われます。

…もう出かける時間なのに。

今までさんざん、この顔(メイク)で

家の中をウロウロしていたのに。
出掛ける寸前に!!

玄関先で言われるのです!!

しかも、改善点とかアドバイスするワケでもなく
特にどこがイマイチなのか言うでもなく
「そんな顔」という言葉が胸に突き刺さったまま家を出る…。
当然、人に会うのが嫌になります…。

元々、自信満々タイプじゃないので

目立たないように

そのメイクおかしくない?と

人に言われないようにコソコソと(笑)

そーゆう人間になるべく言うなら

大成功ですが…

逆切れチックに、どこかで思うのです

これって、教育でもなんでもなく、ただのイチャモンだよね?!

あの人何かへ~ん!って
通りすがりの赤の他人に言われるよりタチが悪い!!
それって、本当に親のすることか?!って

本気で思っていました。

かと言って、探求する気にもならなかったので
もう、いいや。と、ほとんどメイクをしない人になっちゃいましたてへ

漫画のアシスタントって

毎日通勤しないし、室内なので

ほとんど必要なかった苦笑

メイクしない人になって早何年…という頃
出掛けに、またまた言われました。

今度は、
いい大人が、メイクもしないで出掛けるのか?
ですって!

はぁーーーっ?!
何、言っちゃってんの?

普通はさーーーーーっ!!!
若い時に試行錯誤してっていうか、
若気の至りで似合わないことも試してみたり、
失敗もしてみたり、色々経験するから、
似合うことがどういうことか分かったりするんじゃないんですか?

その、試行錯誤時代をイチャモンで奪っておいて、
いきなりいい歳だからできるようになっていて当たり前でしょ、的な発言は
どういうことやねん!。(;°皿°)
無責任にもほどがあるでしょう…。
そんな理不尽な扱いに怒り狂って、
より一層頑なにメイクはこのままいきますっ!
となったのでした。
(当時は大真面目ですが、こうやって書くと実にくだらない…笑)

クローバーそんな私がなぜメイクセラピストになろうと思ったのか…。

それは、がんになったことがきっかけでした。
闘病中の、メイクや外見の印象演出が助けになっていた
と闘病後に気が付いたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからは、しばし闘病記になります。

2004年9月
わたしにがんがあることを知りました。
自分のことがあまり好きではなかったことから
積極的に治療をする気持ちになれず、放置。

2004年末
父にがんの疑い。

2005年2月
父が手の施しようがない末期がんであることが発覚。
父より自分の方が先に死ぬかも?という不安から自身のがん治療を決意。
半年以上放置していたため、ステージⅢーリンパ転移の診断。

2005年3月
抗がん剤治療開始。

2005年6月
抗がん剤治療が劇的に効き、7月に手術へ。

2005年8月
父の病状悪化(入退院を繰り返す)。
母は、家族にがん患者が二人もいるという大きなストレスを抱えることになる。
その様子に耐えられなくなり、正常な判断力を失い
半ばやけくそに、その後の治療スケジュールをすべてキャンセル。

2005年9月末日
治療を始めた時、2006年お正月が迎えられたらいいですね、と
言われていた父親が永眠。

2005年10月
父の葬儀が終わり落ち着いたころ、自身の治療を再開。
もう治療しなくてもいいような気持ちであったが
一通りの治療は続けると決意する。

2005年11月
担当医の判断で手術後の抗がん剤投薬は中止し
一ヶ月の放射線治療へ方針変換。
一ヶ月間毎日、放射線治療のため通院。

2005年12月
一通りの治療終了。

2006年1月
大変お世話になった先生から、年賀状が来なかったことが気になって連絡。
ご家族から、病状が良くないことを知らされる。
月末に他のアシスタントさん達とお見舞いに。

2006年2月
お世話になった先生永眠(スキルス胃がん)。

実に短い期間に、自身ががん患者となり、
そしてがん患者の家族にもなり、
その後、がん患者遺族となる。
さらに、追い打ちをかけるように
大変お世話になった先生をがんで失う、という経験をしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・

さて!
闘病期間は終わりましたが

気持ちよくつるっぱげだったので

宿泊するマンガの仕事は、まだできず

社会復帰のリハビリがてら、何かをしようと思いました。

何か、何か…

漠然と考えていた時に
父の死が、とても悲しくて

悔しくてたまらなくなりました。

あぁ、そうだ!

父が生きていたら絶対、思い付かなかったことをしよう!

そう、思い立ってメイクを習いに行くことに笑

父が生きている時は、意地でもこなれたメイクはしないっ!
なんて思っていましたが…

習いに行ってやる!どうだ、こんにゃろーっ!
そんな気持ちになりました(笑)

道具のことは何も分からず、
どこに何を塗ればいいのかも、全く知らないワタシ。

学びを進めていくうちに、
我流よりも習うことって大切なんだなぁ…と実感

メイクが楽しくなってきた時に
「メイクセラピー検定」と出会います。

ココロと密着した、自分らしさを追求するメイクハート
これを学んでみたいと思いました。

そして…メイクセラピーを学んでいるうちに
病院内での自分自身のミスコミュニケーションによって、
大切な家族が看護師から不当な扱いを受けたり、不利益を被ることや、
闘病中、父に心配かけたくない一心で元気に見える演出をしていたこと。
無意識にやっていた、がん患者に見えない自分づくり。
元気な印象づくり。

病気から逃げるのとはちょっと違う
病気と向き合いながら、闘病後の自分を思い描いて
すこしづつそこへ辿り着いていく

見た目の印象とメンタルの関係が、メイクセラピーの学びの中で、
とても腑に落ち、納得することができました。

自分にどんなことができるかわからないけれど
数年掛けてメイクセラピスト特級を取得。(2010年9月)

メイクセラピーの勉強をする中で
気持ちに寄り添う、共感する
何よりも、傾聴って言うけれど…
実際、どういうことなの?!と
むくむくと疑問がおこり

カウンセリングをちゃんと学ぶことを決意し
産業カウンセラー資格を取得。(2009年2月)

誰に向かって、何をしたいの?

そんな質問をされた時

健康な人じゃないかも…と、

どうしても、あの時のワタシが過ってしまう

メイクセラピーは、対象が心身ともに健康な方

特に、精神疾患の方は対象としない

そんな風に教えられるのですが

精神疾患じゃなかったけど

あの時のワタシも対象外として

切り捨てられるのだろうか??

そう思ったら

もっともっと、聴く力をつけて

どんな状況の方へも対応できる自分でありたいと

恐々ですが、

うつ・クライシスのカウンセリングを

学ぶようになったのです。

まだ、道半ばですが

生まれてからずっと

生き辛さを抱えていましたが

その自分と向き合うツールとして

感情のケアプログラムのスキルが

どえりゃ~役に立って

昨年、1年がっつり自分と向き合ったことで

生き辛さが、ものすごく軽くなり

自己肯定感も上がり

楽しい時間が増え

無理やり笑っていたのが

意識しなくても笑顔でいる。この驚き(笑)

マインドセットとか

特別なことは何もなくて

人とは…感情とは…

理論を知って

効果的なタイミングで

効果のあるスキルを使う。

誰にでもできること。

これを、伝えていきたいと

新しくブログを立ち上げました

感ケア楽しくてしょうがない

そんなワタクシです。

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Posted by ako